我らが団長。小島監督と共に、関前SCそして武蔵野市のサッカーを長年にわたり支えてきたレジェンド。190cmの体躯から溢れ出す、子どもたちへの情熱は、歳月を経てもなお衰えることがない。団長と共に過ごす時間の中で、子どもたちは自然とサッカーを好きになっていく。その風貌に、初めは戸惑う子もいるが、やがてその温かさに触れ、心を開いていく。彼が武蔵野の街を歩けば、関係者はすぐに気づく。
関前SCのフィロソフィ、その体現者。入団した子どもたちは、まず佐藤1年ヘッドコーチの指導と薫陶を受け、サッカー選手としての第一歩を踏み出す。技術の基礎はもちろん、姿勢や心構えに至るまで、その教えは、関前の礎として息づいている。時折交じる懐かしい親父ギャグに、保護者やかつての教え子たちは邂逅と謝念の思いを抱くという。
皆が大好き、圭コーチ。東京瓦斯サッカー部で活躍した実績を持ち、実はその筋では“レジェンド”と呼ばれる存在。今でも脚はバッキバキ。プレーのキレと技術は、年齢を感じさせない。幼児や犬の面倒を見るのも得意で、その柔らかな包容力に、子どもたちは自然と心を開く。そして、実は息子が関前SC出身の現役Jリーガーであることは意外と保護者に知られていない。
関前SCの番頭さん。卒団式、夏合宿、関前招待大会。子どもたちの記憶に残る大切な場面の裏側には、いつも彼の姿がある。宴会部長として場を和ませ、ウィットに富んだ言い回しで指導するそのスタイルは、キャリア20年の成せる業。「小泉節」と呼ばれるその語り口に、子どもたちも保護者も、自然と耳を傾ける。教え子の中には、Jリーガーとなった者もいる。
マイルドな風貌と口調から子供の心を掴むのが上手な低学年担当コーチ。勤勉家で最近は土日の大半をMBA取得に勤しんでおり日々大変。その背中を見習って欲しいと思っている保護者は結構いる。また植中コーチに似ている俳優っているよなと思いつつも特定の誰かは出てこない。
卒団したお子さんは、関前SC史上最高とも称される文武両道の体現者。誰もが思う「のだコーチのお子さんなら、きっとそうなるよな」と。その納得は、長年にわたって積み重ねられた、温かく誠実な指導の証。声を荒げることなく、子どもたちの目線に立って押し出すのではなく、支える。その姿は、まさしく教える者ではなく、育てる者のそれである。
関前SCのOBであり、関前魂の語り部。高校生の頃から指導を始め、武蔵野市トレセンでも子どもたちと向き合ってきた。教え子は、気づけば2000人を超えているかもしれない。ロジカルで分かりやすい指導の中に、ここぞという場面で情熱を込める。その絶妙なバランスは、経験の深さがあってこそ。
関前SCのメガネ三羽烏のひとり。止める、蹴る。その一挙手一投足に、揺るぎない美学を宿す中学年コーチ。ふくらはぎとハムストリングは、まるでロベルト・カルロスの再来かと見紛うほど。武蔵野や三鷹の街角で、白いスーパーカブに跨り、ジャージ姿で風を切る男がいたならば、それは彼である。
その血を引く子どもたちが、風のようにピッチを駆けぬけてきた。ならば、きっと本人も速いに違いない。見た目からしてなんか速そうだし。けれど、彼が全力で走る姿を見た者は誰もいない。
礼を尽くし、言葉を選び、場を整える。挨拶、準備、整理整頓り、その一つひとつに、育成の本質が宿ることを彼は知っている。
関前SCのメガネ三羽烏のボス。武蔵野市の大会本部、その一隅に静かに座す。その佇まいは、もはや中央公園の様式美。長年にわたり、3年生にドリブルを徹底して教え続けてきたマイスター。人はそれを「坂本塾」と呼ぶ。子どもの安全を何よりも優先するその姿勢は、サッカーコーチが教育者であることを、確かに教えてくれる。さかもとごうの父。
関前SCの育成の第一歩を担う、低学年担当コーチ。
サッカーを始めたばかりの子どもたちに寄り添い、見守り続けてきたその姿は、関前の原風景のひとつ。対人の強さは、6年間かけて育てあげる関前SCの最大のテーマであり、その最初の一歩は、のりコーチから始まる。サッカーの上達は「自分で楽しむこと」をモットーに、1対1の土台を彼は築いてきた。